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所信表明《八十岡 翔太》

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マジックを始めた頃

『マジック』を始めたのは中1ですね。同級生の友達がやってて、一緒に。最初に買ったのは「ミラージュ」と「第5版」だったと思います。
最初は日本語版だったんですけど、英語版のほうが数十円安いというのもあって、途中からは英語版でした。英語は苦手で、辞書引きながらがんばって読んでました。『マジック』で覚えた英単語は授業で全然出てこないから、『マジック』の英語がわかっても学校の英語は得意にならないですね(笑)。

当時は大会やショップが近場にはほとんどなかったので、学校や友達の家で遊んでて、トロンランド(《ウルザの塔/Urza’s Tower》など)を並べて《火の玉/Fireball》撃ったりしてました(笑)。
中3くらいで家の近所にカードショップができて、高校では部活もやってなかったんで、ずっとそこに入り浸ってた感じですね。行くとだいたい誰かいて、12、3人くらいのコミュニティができました。その中では真ん中の位置くらいだったのかな、僕よりずっとカジュアルな人もいればまじめに取り組んでる人もいたんで。今も『マジック』やってる人もいればやってない人もいますけど、たまにご飯食べに行ったりしますよ。

DCI(渋谷にあったDCIトーナメントセンター)は、たまにPTQ(プロツアー予選)に出に行ってました。最初と2回目のPTQは10位と9位で、3回目くらいのPTQを抜けて行ったのが16歳のときのプロツアー・バルセロナ2001です。4-3で2日目に行けたんですけど、3連勝のあと4連敗で。でも楽しかったし、「トーナメントマジックの世界っていいな、もう一度来たいな」と思いましたね。

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2001年末のThe Finalsで3位に入賞

マジックにオールイン

2005年の世界選手権は日本開催で日本人が活躍したんですけど、そのとき15位だったんです。コガモ(Hareruya Prosの津村健志さん)がPoY(プレイヤー・オブ・ザ・イヤー:年間最優秀選手)を取ったのにけっこう触発されて、「じゃあ来年は俺が取るか」みたいな話をして、まじめにプロマジックに取り組むようになりました。

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2005年の世界選手権。橋の上の右から2人目が津村さんのフィーチャーマッチを見ている八十岡さん

 

 

で、2006年のプロツアー・ホノルルにPTQ抜けて行って、そこからプロツアー・チャールストンで優勝(齋藤友晴さん、鍛冶友浩さんとのチーム「Kajiharu80」にて)、海外グランプリも回ってPoY取りました。
チャールストンで勝ったときはまだ世界的にほとんど無名だったので、「どうしてもともとのOne Spin(齋藤さん・鍛冶さん・津村さんのチーム)から入れ替わってこのメンバーになったの?」って何回か聞かれて、友晴が「ヤソは地元ではけっこう有名なんだ」って説明してた覚えがありますね。

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2006年のプロツアー・チャールストンで優勝したKajiharu80

 

それをプロキャリアのスタートにして、2006~07年は俺と友晴、コガモ、中修(Hareruya Prosの中村修平さん)の4人で世界を飛び回って、『マジック』にほぼオールインでしたね。レベル報酬と賞金でやりくりして、全然プラスではなかったです。
友晴と中修はよく体調崩してましたけど、自分はそういうのはないし飛行機乗るのも苦じゃないんで、そんなにしんどいとかはなかったですね。一番しんどいのは、火曜に戻ってきて木曜出発とかなんで、毎回成田空港まで行くことでした(笑)。
まあ当時はみんな若かったし、オールインしてる人はけっこういましたよ。逆に、俺の下の世代はすっぽり空いてる感じなんですよね。そのへんからちょうどTCGブームが来て、若い子があまり『マジック』に入って来なくなったのもあるし。シミチン(清水直樹さん)とか肇(中村肇さん)とかもいるけど、もうちょっと地に足がついてて、『マジック』にオールインしてない感じだから。
俺の世代は俺、大澤(拓也)、高桑(祥広)、(北山)雅也、KTO(大塚高太郎)、小倉(陵)君とか、みんなニートで『マジック』しかしてない、今考えると恐ろしい奇跡の世代です(笑)。そういう環境ならそりゃ強くなるよねという感じもしますけど。

スポンサードプロとして

2012年くらいからMTG MINT CARD(香港のショップ)のスポンサーシップが始まったのかな。向こうからオファーが来て、服を着てカバレージの写真に映ると小銭をくれるという内容だったんで、まあくれるならいいかと。
あのあたりは、ショップがスポンサーに入って、みんながロゴ入りのシャツとか着るようになるきっかけでしたね。TEAM MINTがナベ(渡辺雄也さん)のスポンサーについて、日本でもそういう流れになってきたのはそのちょっと後だったかな。

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MTG MINT CARDのユニフォーム

 

 

晴れる屋がスポンサーになったのが、2015年の夏ですね。プロツアー『タルキール龍紀伝』で勝って、プラチナになれたから来年は『マジック』本気でやろうかなというタイミングでした。
だったら、やっぱり海外のスポンサーより日本のほうがいいなと。海外のスポンサーだと、ほかのスポンサーされてるメンツもわからないし、日本の『マジック』を盛り上げたいという気持ちがあって。
Hareruya Prosに入るときには殿堂入りは確定してなかったんですけど、決まってから発表されて。まあ、所属プロだからと言ってたいしたことはしなかったですけど、Hareruya Prosの知名度は上がったかなと思います。
あと晴れる屋で借りてる家の管理人を兼ねて住むみたいな感じで、ドラフトやったり動画撮影したり、いつでも練習に来れるような場所にしてました。
記事とか動画はいろいろやってもらったんで、自分にとっても知名度が上がったとか、見えないところでのメリットはあったかなと思いますけど、人気がどうこうとかは、ほかの人と比べられないんで正直よくわかんないですね。ただ《ボーラスの工作員、テゼレット/Tezzeret, Agent of Bolas(MBS)》を使ってたときはサイン求められることが多かったし、おもしろいデッキで勝つと目立つからファンが増えるという印象はあります。

Hareruya Prosでの最後の7か月くらいは〈MUSASHI〉に入って、チーム調整のやり方を試行錯誤してきた感じですね。最初は同じユニフォームを着てるだけくらいでしたけど、プロツアー『アモンケット』からはチームでデッキ調整して、すごくうまくいってるわけでもないけど全然ダメでもない、どうすればいいか探ってる状態かなと思います。

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プロツアー『霊気紛争』で初めて表舞台に立ったときの〈MUSASHI〉

練習について

〈MUSASHI〉に入ってから、前よりは多少練習するようになりましたけど、それはみんなが僕の家で練習やってるからです(笑)。半分くらいはゴミデッキを作っては崩す遊びみたいなものですけど、みんなやってるから付き合うかと(笑)。
プロツアーは練習期間が発売後2週間しかないから、デッキの習熟度を上げる練習はそこまで重要じゃない。もちろん習熟度は高いほうがいいですけど、時間効率がよくないんですよ。時間が無限にあるなら練習すればいいですけど。それより環境の仮想敵を当てられるかどうかが一番大きくて、仮想敵がわからないと、ヘタに練習してもマイナスになることもある。

一方、ドラフトは練習がまあまあいるので……何十回も練習する必要はないけど5回くらいは必要なので、Hareruya Prosに入って一番収穫だったのはドラフト合宿ですかね。ドラフトの成績ちょっと上がったし。
カードリストを見て、「こういうアーキタイプが強そうだな」と思っても実戦で試さないとわからないところもあるし、周りがどう思ってるかでドラフトは変わるので、周囲の意見を知る必要もある。
スタンダードは強いデッキが純粋に強いですけど、ドラフトでは強いアーキタイプが強いとは限らない。青が最強でも卓に7人いたら勝たないんで。

構築にしろドラフトにしろ、ロジカルに考えてるところはあります。
『マジック』って、基本的に長く練習すればするほど勝ちやすくなりますけど、常に練習を積んだパーフェクトな状態で大会に臨めるわけじゃないですよね。「練習したから勝てる」というのを繰り返してると、練習しなくなったらもちろん勝てなくなる。そうなると、違うショートカットというか、別の勝てる手法を探さないといけない。あまり練習期間がなくても勝ってるフィンケル(Jon Finkelさん)とかは、そういう部分がうまいのかなと思いますね。
練習して身につけたもので戦うやり方は、1週間がんばって1勝増えるとか、効率が悪くて長続きしないと思うんですよね。今は昔よりMOもあるし大会も多くて練習量で差がつけづらくなってるから、長期的に続けていきたいなら、ひたすら練習するだけじゃないショートカットが必要かなと思います。

Team Cygames入りの理由

そもそも、晴れる屋では来期のチームシリーズは、Hareruya Prosの上位6人で組もうという話になって、ショップの立場を考えれば当たり前なんですけど、そうなると僕+外国のプレイヤーみたいな感じになるので、もともと日本の『マジック』を盛り上げたくてMINTからこっちに来た理由とも反してしまう。晴れる屋を表に出したい意向と折り合いがつかなかったので、辞めることになったんです。(編注:なお最終的にこのチームの組み方ではなくなったとのこと)
それで、フリーになって新しいスポンサーを探そうかというのも考えましたけど、既存の業界の外へ自分からアピールしていくとなると制約も多いし、効率も悪い。Cygamesにいれば、〈MUSASHI〉で一緒に移動とか取材とか、いろいろ効率よくやりやすいんで、手っ取り早いということで(笑)。

他のチームメンバーについて

やまけん(山本さん)はまあまあ付き合い長いですけど、つかみどころがない感じで、人としてはややダメ寄りな気がします(笑)。もともとやまけんは池袋勢で、地域が違うのでそんなに一緒に『マジック』やる接点はなかったんですよね。Hareruya Prosもちょうど入れ替わりだったし。
気づいたら強くなってるイメージです。MOにこもったあたりで強くなった気がしますね。そつがなくてうまいです。あと、リズムが一定。調子いいときも悪いときも、リズムが変わらない。どうでもいいようなときでも一定(笑)。自分の中でペースができてるんでしょうね。

てるや(覚前さん)は昔やってたときはまったく接点がなかったんで、最近だけですね。のびしろはあるんだけど、どこまで伸びるかですね。『マジック』って、あんまり「勝とう」と思って勝てるゲームじゃないから。常に勝つのはほぼ不可能で、ツイてるときに勝つのが大事なので。
一時がんばって海外グランプリ回ったりしてましたけど、「あまり意味がないな」ってなって、やる気が空回りしてるときもありますよね。ただ、やる気はあるので続けてれば強くなれると思うんですけど。

瀬畑(市川さん)も『マジック』強いですよね。性格的なものもありますけど、細かいこと考えないんで思い切りがいい。ヘタに半端なケアするより、要所をつかんで勝てるときは勝つタイプ。根を詰めすぎてないっていうか、「負けたら負けたでいいし、プラチナはなれたらラッキー」みたいな前向きなスタンスなのが、『マジック』に向いてるかなと思います。
仕事をがんばって休んでプロツアー行ったり、睡眠時間を削って練習したりしてるんで、本気でオールインしたらもうちょっと勝つと思います。大学生くらいだったら1、2年オールインしてみてどこまで行けるか試すのもおもしろそうですけど、もうそういうとんでもないリスクを背負える年齢じゃないですからね。

ナベ(渡辺さん)は……『マジック』オールイン勢ですね(笑)。世界を回り始めたタイミングが2007年くらいで、ちょうど入れ替わりくらいなんですよね。
ナベはけっこうやり込み型で、デッキの理解度で戦うタイプだと思います。パッと渡されたデッキを90%の力で回せるタイプではなくて、回し続けることでデッキの力を120%引き出して勝つタイプ。そういう意味では今のプロツアー形式はちょっとナベに合ってなかったと思うので、練習期間が増える次のプロツアーではけっこう変わるかもしれないですね。

これからの目標

短期的な目標は、世界選手権優勝ですね。そこは前から変わってないです。一番ハイレベルなトーナメントですし、最後に残った一番高い山ですね。
長期的には……特にないです。今日とせいぜい明日が楽しければいいみたいな生き方してるんで、それが一生続けばいいかなーくらいで(笑)。
あとは、生涯現役をどこまで貫けるかくらい。殿堂なのでプロツアーには出続けられますけど、来年からレベルのシステムが変わって、ずっとプラチナを維持するのは不可能に近いシステムになるので、専業のプロプレイヤーにとってはかなりきつい変更です。そんな中で、いつまで勝ち続けられるかみたいなところですかね。

応援してくれる方へのメッセージ

Team Cygamesに入ったからといって、プロプレイヤーとしての活動に特に変わりはないかなと思います。ドラフト合宿も場所が変わるだけで、やることは一緒だし。
僕としてはそんなにやること変わらないので、変わらずこれからもよろしくお願いします。

Cygamesさん次第ですけど、要望があれば記事は書いていきたいですね。今あんまり記事ないし、せっかくなんで月イチ連載とか。
何か意見をくれればCygamesさんが動いてくれるかもしれないので、お待ちしてます。

(編注:八十岡さんにこういう記事を書いてほしいという要望がありましたら、ぜひTeam Cygamesのツイッターアカウント@Team_Cygames」あてにリプライでお寄せください!)

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